塩竈市所蔵作品について

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  • ※以下の内容は、杉村豊名誉館長により2017年11月に著されたものです。
コレクション
  • 作品名《馬放島より》
  • 制作年昭和25年(1950年)
  • サイズF8 (H380 x W455mm)
  • 技 法油彩
馬放島から、桂島方面を望んだ作品ですが、夏なお硬い東北の光のもとで、内海のさまざまな表情と気配を、伽藍のような島々とその影を、岩に寄せる白い波の動きをポイントにして、壮厳な宗教画のように仕立てあげています。松島は、多くの画家が名品を残しており、それだけに本人も、独自性を意識した作品だったのでしょう。多くの島々が綾なす内海の懐深い松島の風光の本質を、見事にとらえた作品です。後々彼は、詩情あふれる精神性の高い風景画を数多く残しますが、この作品はその嚆矢ともいうべき作品です。
コレクション
  • 作品名《魚》
  • 制作年昭和38年(1963年)
  • サイズF6 (H318 × 410mm)
  • 技 法油彩
F6号の空間を、ゆがんだ白い皿の左端をカットして、表情に変化をつけた魚の顔を放射状に左に向けて画面を左に開放する、緻密な構成が施されています。そうした仕掛けを背景に、見る者の目は、魚の光る鱗の表現に集まりますが。厚い質感を見せる皿の表現とバックの机の表情が、魚の幻想性にリアリティーを与えます。緻密な構成と堅牢な具象性を背景にした幻想性は、「幻想の真実」と称された惇作品の、ひとつの特徴です。
コレクション
  • 作品名《鱈》
  • 制作年昭和29年(1954年)
  • サイズF50 (H910 × W1,167mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第40回光風会展出陳
50号の大画面を、ザルと鱈だけで大胆に構成した、野心的な作品です。当時の世界的な「新しい具象絵画」への潮流を意識して、構成的構図を工夫しています。ただ画面の抽象性よりも、力強い豊満な鱈の腹の具象性が、まだ食糧事情が良くなかった東京の展覧会場では、絵描き仲間の評判を呼んだと、本人はつぶやいていました。テーブルの黄色が大胆ですが、ゆがんだザルの目が、画面にリアリティーを与えています。
コレクション
  • 作品名《黒い網》
  • 制作年昭和34年(1959年)
  • サイズF80 (H1,455 × W1,120mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考改組第2回日展出陳
壁の網、壊れた舵輪、枯れものの百合のさやと枝、枯れた葉、白いポットの口、細いガラスの瓶と、黒いカンテラが四角いだけで、画面は種々の曲線で構成されています。戦後のフランス画壇の寵児・ベルナール・ビュッフェを意識した、硬質で鋭く太い針金のような輪郭線、モノトーンに近い色彩の表現に挑戦しながら、線の優しさが惇作品です。本人はめずらしく、「自分はビュフェほど狂っていない」とつぶやいていました。
なおこの惇の描く線ですが、惇の母・喜代(きよ)井(い)の父・犬塚甘(かん)古(こ)(本名又兵。1938~1913年)は、書画・彫刻を良くし、幕末には庄内藩藩校致道館句説師になりますが、明治14年(1881)上京して洋画の先駆者・高橋由一のもとで鉛筆画・油絵を学んだ後、考古学の研究にも没頭し、その発掘した土偶・土器の模写図は、「土偶及び土器模写図」(1890年・慶応義塾図書館蔵)に収められています。これを見ると、その丁寧で静謐な筆遣いは、祖父・甘古から娘・喜代井を通じて惇に受け継がれたことが、惇の息子には、筆を置く際の息遣いとして、見てとれます。 なお2015年鶴岡市致道博物館の企画展『犬塚甘古・一瓢(いっぴょう)「書と篆刻」展』を記念して、惇作品「最上川五月」(1989年・油彩F8)が、杉村家より、致道博物館に寄贈されました。
コレクション
  • 作品名《壊れた古いラッパ》
  • 制作年昭和53年(1978年)
  • サイズF50 (H1,167 × W910mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考夏季日洋展出陳
古い手提げランタン、黒いクラリネット、古い時計、廃棄された船舶用の大きな赤い右舷灯、壊れたトランペットと、並べたてて、古い金属の、それぞれの質感と存在感を追求しています。画面右側の重さを、左側のクルミも入はいった時計集団でバランスをとった、何気ない構図ですが、それぞれの存在感を執拗に追及した具象の筆の力が、F50の画面で個々の存在の距離感を浮彫にして、気迫をみなぎらせた静物画になっています。
コレクション
  • 作品名《錆びた西洋鋸》
  • 制作年昭和54年(1979年)
  • サイズF80 (H1,455 × W1,120mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考夏季日洋展出陳
横長F80の画面中央を、白い船舶灯と白い敷物を垂らして分断した上で、平らな西洋鋸と金槌や墨壺といった画材になりにくい物で、横断する流れを構成しています。左右に陶器ジョッキと仮面で彩を添え。さらに左右それぞれに黒ランタンとガラスの卓上ランプを配して、右に奥行きをひろげて、画面にリアルな立体感を構成しており、きわめて技巧的な画面構成ながら、その巧みを意識させない「静物学者」です。
コレクション
  • 作品名《野々島-柳の浜より外洋を望む-》
  • 制作年昭和25年(1950年)
  • サイズP15 (H500 × W652mm)
  • 技 法油彩
手前の水をたたえて空を映す田んぼの構成と、松島の内海の静かな水面と島影、さらに薄曇り空との間の細い水平線で、はるかに望む外洋を表現した、賑やかな構成ながら、秋の静かな島の風情を、詩情豊かに描いています。高橋由一の記録油彩画の流れをうけて、枝一本ゆるがせにしない正確な描写には、今は失われたこの景色を知る者がこの絵の前にたつと、おのずと涙が浮かぶと伝えられています。
コレクション
  • 作品名《白い笠のランプ》
  • 制作年平成2年(1990年)
  • サイズP100 (H1,120 × W1,620mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第22回日展出陳
30号以下の小品では、色彩が踊る画面構成は、はやくから現れますが、50号以上の大作でも、70歳後半から、画面の色彩が華やかになります。ここでは、卓上ランプのピンク、敷物の赤と紫、パイプの赤茶、仮面の化粧の赤、さらに黒いランタンやギターの表面や、机の縁や背景の壁に浮かぶ赤茶の影と、まるで種々の赤の競演です。踊る画面を青いコーヒー壺で抑えて、右のランタンの重厚な黒で、画面に重厚な落ち着きを与えています。それまで抑えた地味な色調の彩から、解き放たれたような色彩が、正確な構成のなかで、老境に入った作家のみずみずしい色彩力を見せつけています。
コレクション
  • 作品名《黄色い地球儀》
  • 制作年昭和54年(1979年)
  • サイズF100 (H1,620 × W1,300mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第11回日展出陳
静物という、ややもすれば単調になる題材に、人形を組入れたのは、一つの工夫ですが。多くの静物画家と違って、彼はこの画材用に手作りした人形を、画面構成に表情を与える素材として、執拗に追及していきます。で、その背景には、師の寺内萬治郎(芸術院会員)が裸婦の巨匠であったこともあって、戦前に修練した裸婦デッサンが数千枚はあったと母はいっており、人物・肖像画家としても自負するものがあったようで。静物画への人形の導入は、そうした背景もあったようでうす。この作品もまた、白のティーポット、青いランプと黒いランタン、モノクロの画集、黄色の地球儀、壁のパイプ挿し、ロートレックのポスターと、緻密な構図ながら、手堅い具象力で素材を描きこむことで、画面に力強い緊張感を生んでいます。
コレクション
  • 作品名《ランプの静物》
  • 制作年昭和39年(1964年)
  • サイズF80 (H1,455 × W1,120mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第7回日展出陳
めずらしく厚塗りではない表現で、透明感あるランプの火屋と酒瓶を林立させたガラス群をまとめています。しかしここでも緻密な構成は揺るぎなく。左の白い吊りランタンと、右の黒いコーヒー挽きと、中央やや右のパンジーで、雑然と並べたように見えるランプ群を引き締めています。ここでの工夫は、左で垂れた白い敷物とランランの前の透明がグラス、角を見せた机と、右端の白い蝋燭でしょう。堅実な具象力による個々の強弱の描き分けときれいな色彩の展開を、黒いコーヒー挽きの取っ手の曲線が鮮やかに抑え込んで、画面にリズムを構成していますが、とりわけ白い蝋燭の先端の黒い芯が、画竜点睛の効果を見せています。
コレクション
  • 作品名《メキシコの鳥》
  • 制作年昭和44年(1969年)
  • サイズF80 (H1,120 × W1,455mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考改組第1回日展出陳
にぎやかにガラクタを集めて、楽しい画面を構成しています。一見雑然とした素材の並びを、左のコーヒー缶から右の黒いランタンに向けて広がる先で、黒ランタンの扉を開け、机の奥に壁をのぞかせることで、画面を楽しく開放的にしています。さらにここでも、左の右舷灯表面の錆びとガラスの赤に対比させた、右の黒いランタンとその扉のガラス越しに覗く酒瓶のかすれたラベルに代表される絶妙な具象力によって、さりげなく並べたガラクタ群を、一転させて「美の競演」に反転させる力技こそが、「静物学者」と呼ばれた所以です。
コレクション
  • 作品名《三角時計のある静物》
  • 制作年昭和38年(1963年)
  • サイズF80 (H1,120 × W1,455mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第6回日展出陳
左の白い敷物の上に置いた重い古い時計と、角を見せた机の上の金の模様が入った水差との間に、油に汚れたランプの燭台と、クルミが入ったコンポート、白い菓子鉢の横並びに、長いフランスパンを斜めに差し込んだ構図です。実際には幅3m、奥行き2m以内の空間を、絵画的に演出するために、作家は壁の描写にも神経を払って、個々の存在の質感量感に迫る写実力を武器に、画面に張りつめた空間ドラマを演出しています。
コレクション
  • 作品名《二つの舵輪》
  • 制作年昭和30年(1955年)
  • サイズF100 (H1,620 × W1,300mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第11回日展出陳
2つの壊れた舵輪の前に無造作に並べた、黒い水差しとランプと白いランタンと、壁と床に映った影で、画面が構成されています。一見、輪郭線と色彩を抑えた前衛風な画面構成に見えながら、舵輪からは魚を吊るし、黒い壺は取手を手前に向け、ランプは美しい油汚れを見せて、白いランタンと色ガラスの美しい黄色に色を集約して、壁と床のリアルな影の輝きとともに、具象力の粋が展開しています。最晩年「自分の絵は一貫していた」とつぶやいていましたが、ここでも具象作家の信念は、揺らいでいません。
コレクション
  • 作品名《テラコッタのある机》
  • 制作年昭和49年(1974年)
  • サイズF80 (H1,120 × W1,455mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第9回日展出陳
白い敷物の上の分厚い壺と粘土のテラコッタ、武骨な鉄のランタンとナツメを入れた切子ガラスと鉄の土台のランプ。土、鉄、ガラスの、それぞれ画材の似て非なる質感と量感を、壁と机で浮彫にして、手探りするような実感で描ききる筆力で、画面が構成支配されている堅牢な作品です。光に反応する目が、元来「触覚」であることを思い出させる、実感的具象力は、「物の本質に迫る」と豪語するこの作家が、もっとも意を尽くしているところです。この単純な構図も、この具象力によってのみ成立する絵ですが、一方その具象性は、右のランプに描きこまれた芯を調節するネジに代表される、洒落たモダリティ(様相性)もふくめたものになっています。
コレクション
  • 作品名《焼いた魚》
  • 制作年昭和37年(1962年)
  • サイズF80 (H1,120 × W1,455mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第48回光風会展出陳
太い輪郭線で画面を構成することで、雑然と並んだ食卓を浮彫にする意匠です。粗雑な机の上に、金属の蓋のバター容器からナツメを入れたガラスのコップ、調味料入れ、ラベルを見せたワインたち、白い皿の上の焼き魚、重いアルミのポットと、透明なガラスの器に入ったパンまで、ただならぬ気配を秘めた壁をバックに、自分の筆力の魔性を封じ込めるように、それぞれの質感を描き分けています。身悶える焦げた魚の表面からは、香ばしさだけでなく、中の肉の熱い芳醇さまで、そして白いパンは柔らかな食感まで、描きこまれています。師・寺内萬治郎(芸術院会員)の描く裸婦の肌の美しさは有名ですが、惇の具象力が、感触の表現であったことが良くわかる絵の代表です。
コレクション
  • 作品名《白い机の静物》
  • 制作年昭和39年(1964年)
  • サイズF80 (H1,455 × W1,120mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第50回光風会展出陳
灰色の壁の縦長の画面に、縦長の白い机に上に、縦長に四角と円形を組み合わせた素材をならべた、キュービズム的構図です。静物画としては難しい構図を、それぞれの具象を描き分ける筆力が、支えます。絶妙な面積の机の前面の白が、古いコーヒー挽きの黒と、魚を入れた鉢の灰色、漬けたラッキョウの黄色、背後の陶器のジョッキのピンク、卓上ランプのブルーといった色彩と対応しています。全体に白の分量が多い抽象的な画面で、唯一魚が生々しさを示し、詰め込まれたラッキョウ集団と、ジョッキ上のピンクの模様が、色を添えています。彼の静物画の特徴のひとつは、この個々の形や色や質感といった存在を際立たせる、複雑な素材の組み合わせの妙にあります。
コレクション
  • 作品名《マリオネット》
  • 制作年昭和33年(1958年)
  • サイズF80 (H1,455 × W1,120mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第44回光風会展出陳
画学生時代に目をかけていただいた師が裸婦の巨匠・寺内萬治郎(芸術院会員)であったことから、戦前は裸婦のデッサンには膨大な時間をついやしたと母はいっており。それが戦後の静物画のなかで、マリオネットやテラコッタや雛人形に、つながったのでしょう。特にマリオネットは、静物画の中の形と色を担う素材として扱われながら、かすかな擬人化によって、画面に上品な表情を生んでいます。人形画ではない静物画として、左の黒い上着とチェックのズボン、中央の白髭老人の赤いルパシカ、右の驢馬の黄色い上着と、右下を空けた構図の中で、色が踊っています。ここでも背後の壁が、前面のやや不自然な人形たちの動きを吸収して、画面全体に躍動感を広げる効果を果たしています。
コレクション
  • 作品名《婦人像》
  • 制作年昭和8年(1933年)
  • サイズP80 (H1,455 × W970mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第一回東北美術展出陳
中二階から見下ろした感じの、人体の構造の流れを強調した構図です。当時、審査員の人物画の巨匠・安井曽太郎(芸術院会員)は、「物質の変化がない。形が乱暴だ」と審査評を残しながら、第1回河北賞に選んだとか。確かに画学生時代に、真面目に人体素描の勉強したことをしめす確かな肢体ですが、浴衣の模様や椅子の影の鉢植えなどの表現には、まだ若描きの硬さが残る作品です。しかしモデルは兄妹同様にしていた姪なだけに、しっかり描かれた表情には、画家とモデルの静かな信頼感が漂っています。戦前の作品は、東京と仙台での2度の戦災で、すべて失ったと言っていた惇夫婦ですが、晩年、倉庫の奥底から孫が発見した、戦前の希少な作品です。
コレクション
  • 作品名《壊れた管楽器》
  • 制作年昭和54年(1979年)
  • サイズF80 (H1,120 × W1,455mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考改組第3回日展出陳
左の黒いランタンと右の鈍い真鍮のトランペットを、黒いクラリネットがつないでいます。仮面と白い菓子鉢と青いソーダサイホンが彩を添えて、金属と陶器とガラスの質感が、競演しています。クラリネットの管体を飾るキー・システムやトランペットのピストンや指掛けや抜差管が、画面には楽しそうに描きこまれていて、静物学者の目はこうした自在な形をとる金属の姿に魅了されるようです。そうした金属の多様な姿が、せめぎ合う楽器の演奏のように、画面には楽しく響いています。なぜかこの作品は著名な医学者や科学者に、熱烈なファンが多い作品でもあります。油断のない構成と、プロセスを楽しむ余裕が、先端科学を率いる指導者たちの情熱に、響くものがあるようです。
コレクション
  • 作品名《横たわる人形》
  • 制作年昭和56年(1981年)
  • サイズF50 (H910 × W1,167mm)
  • 技 法油彩
  • 備 考第6回日展出陳
黒い三角時計と白い酒瓶と握巻のついた軍用喇叭の前に、ソンブレロを乗せた黒人の人形が、だらしなく寝そべっていますが、特に寓意的意味はないようです。普段から「絵の職人」を自称していただけに、絵に心象を込めることには、きわめて禁欲的な作家でした。ここでも幾重にも下塗りを重ねて執拗に描きこまれた壁と、影を映す机の上に、黒と白と赤と黄色といった色彩の展開を楽しんでいる作品のようです。単純な構成を正面から描くことこそ、「難しい」といっていた人なので、「静物学者」の力量を見せつけた絵でもあります。
コレクション
  • 作品名《塩竈港にて -捕鯨船-》
  • 制作年昭和22年(1947年)
  • サイズF4 (H242 × W333mm)
  • 技 法油彩
キャッチャーボートでしょうか。曇天と暗い海に浮かぶ船体の重さと雄姿を、青と白の彩で、重厚に描きこんでいます。左側に覗くほかの船の船尾の曲線と岸壁が、きれいごとに描いた「船の絵」に終わらせない、力強さと抒情性を画面にもたらしています。小品ながら、港の喧騒すら遠くに聞こえてくる名品です。たまたま個人蔵で、戦前の塩竈港の船を描いた作品(今は所在不明)を見たことがありますが、力はありますが、詩情性に欠けた絵でした。多くの絵描き仲間を失った戦争と2度の戦災経験は、その心情については多くを語らないひとでしたが、画境に大きな影響を与えたことは確かです。
コレクション
  • 作品名《塩竈港にて》
  • 制作年昭和22年(1947年)
  • サイズF6 (H318 × W410mm)
  • 技 法油彩
季節は冬でしょうか。灰色の空と海のなかに、灰色の船が停泊しています。手前の船の船尾の曲線と、その後ろのかすんだ別の船尾の対比の美しさに魅かれて描かれたようです。船を描いた名作は、光と大気のイメージ画家として有名な18世紀イギリスのウィリアム・ターナーをはじめいろいろいますが、この作家は、手前の海に落ちた影とともに船の存在感を、靄がかかっているような大気のなかで、抑えた抒情性で描き上げています。当時のリリシズムをたたえた大作の、序章ともいうべき作品です。
コレクション
  • 作品名塩竈市役所旧庁舎
  • 制作年昭和34年(1959年)完成 平成13年(2001年)
  • サイズP12 (H455 × W606mm)
  • 技 法油彩
当時、旭町の丘の中腹にあった作家の自宅から正面に見えた市役所庁舎が、新庁舎に改築されるという話があって、急きょ自分の思い出にと筆を執ったものです。これを聞き及んだ当時の塩竈市での惇の有力な支援者の一人だった桜井辰(たつ)治(じ)市長は大変喜んだのですが、惇は本来の優柔不断の性格から遅筆で有名で、早く公表したい市側の事情もあって、後で加筆するつもりで1959年当時は無署名で市に納めてしまいました、その後40数年を経て惇の最晩年になって、市側からほころびの修繕依頼があって、積年の汚れを落としたついでに、手元に残っていた詳細な素描をもとにいくつか加筆して、桜井市長との約束を果たしてサインを入れた作品です。詳細な資料を残していたことは、作家の几帳面な気質にもよりますが。明治草創期の山形県令・三島通(みち)庸(つね)の命により、高橋由一が描いた官庁庁舎などの記録画作成の手順を、高橋由一に師事した母方の祖父・犬塚甘(かん)古(こ)から母・喜代(きよ)井(い)を通じて、惇は伝え聞いたと思われます。記録画の正確さも持ちながら、トーンを落とした裏山を背景に、自宅がある向かいの丘の中腹から見た視角で、木造の旧庁舎の屋根と二階が力強く浮かび上がるいわゆる「中2階画法(人物などを描く際にななめ上からの目線で人物を俯瞰した画法)」による、抑えた抒情性を湛えた記録画の名品です。