色彩の韻律

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  • ※以下の内容は、杉村豊名誉館長により著されたものです。
壁際
作品名
壁際
制作年
1972年(65歳)
サイズ
F80(H1455 x W1120mm)
技 法
油彩
出 陳
第58回光風会

まず構成は、左に白い笠の背の高いランプを置いて、右下に時計、人形、桐の切株と、白系を追って目が流れる構成です。そこに右から交差する線が、人形の麦藁帽から、顔、桐株の白い切り口、縞シャツ、ズボン、ランプの台、への流れで。さらに背後から、下から見上げたサクソフォンを吹く黒い演奏者のリアルな姿が、やや画面左に寄った絶妙な位置で、背後から緊張と迫力ある動きを画面に引き起こしています。色彩は白の流れと、奏者の焦げ茶色の肌から、赤っぽい胸と袖、さらに時計の黄土から明るい上着の流れと、もう一本の胸から袖、コップ、人形の顔と帽子の線に明度を増すラインがあります。そして、これらをしっかりとした具象力で描かれた桐の表示の複雑な美しさで受け止めて、一見思い付きにポスターを取り入れた風に見せながら、「静物学者」らしい保守本流の静物画に堂々と構築しています。「黒い演奏家を描きたい」と、めずらしく数年前から口にして。構想4,5年を経て、躍動感あふれる傑作に仕立てあげた見事な職人芸です。

錆びた牛乳缶とランプ
作品名
錆びた牛乳缶とランプ
制作年
1977年(70歳)
サイズ
F80(H1455 x W1120mm)
技 法
油彩
出 陳
夏期日洋展

重い机の上に、汚れた牛乳缶とイチジクと黒い船舶灯と白い卓上ランプを横に並べただけの、単純な構図ですが、個々を描き分けた美しくも無骨な存在感は、昭和を代表する美術評論家・田近憲三が「剛毅な写実」と呼んだ見事な具象力です。遣いこまれた姿にほれ込んでわざわざ取り寄せた牛乳缶の重い質感と錆びが、白いランプと美しく映えあっています。この愚直な写実を支えるのが、机にうつり映える微妙な影と光で、それがこの絵に生命を吹き込んでいます。こうしたガラクタから、生命の色の詩を読み込むところが、この作家独特の特殊な眼のようです。幼いころから息子は、物を描くときは、「対象をよく見なさい」と父には言われましたが、どうももともと目の構造が違っているようで。かくいう本人は、対人関係では、自分の価値観と主観が優先して、あまり良くは相手が見えない人でした。一方、最近よちよち歩きの幼児に公園とかで出あうと、拾った葉っぱや石とかに彼らが感動して、それを拾って私に見せようとする原始的表現行動を観察していると、言語で周囲をまだ抽象化できない段階での彼らの身の回りへの驚き・感激が、大人の想像を超えていることが想像されて、どこかこの作家の目の構造に近いものを感じます。

厨卓
作品名
厨卓
制作年
1993年(86歳)
サイズ
F80(H1455 x W1120mm)
技 法
油彩
出 陳
第25回日展

金属の秤、青い台のランプ、杏漬けのガラス壺とブリキの蓋、酒瓶、手前の南米インディオの荒い布地のカバンの上にのせられた白い菓子鉢がやたら大きくて、〆の玉ねぎが新鮮そうです。静物画定番の机に垂れた布地に代わって、編んだ肩紐がきれいです。作家が好むそれぞれの素材の描き分けを、楽しむように一堂にあつめて、丁寧に具象しています。この作品を堂々と見せているのは、実際より大きく描かれている白い菓子鉢なのですが、それが不自然に見えずに、むしろ画面に華やかさと威厳を生んでいます。作家が育ててきた画材群は、彼が生涯を通じて研究してきた「存在と空間」の論理のなかで、質感と形と色彩が、壁も机も含めて、きちんとあるべき場所に、あるべき姿で治まってドラマを形成するヒエラルキーこそが、彼の「幻想王国」の「静物画秩序の威厳」なのでしょう。この子どものオモチャ箱のような幻想秩序に力を与えて絵画的に真実化しているのは、鮮やかな秤の皿の金、ランプの台の青、梅の実を漬けた焼酎の飴色、菓子鉢の白、カバンの赤、玉ねぎの表皮の明るい茶色、酒瓶のラベルの黄色、飛んで酒瓶のコルクと栓の白です。彼が晩年に到達した、まさに「仕訳して統合」する「色彩の詩」の有機的スクランブルの輝きです。

假面
作品名
假面
制作年
1995年(88歳)
サイズ
F80(H1455 x W1120mm)
技 法
油彩
出 陳
第27回日展

画面やや上に、枝を持つ真鍮の蠟燭盾を置いて、ポット、蠟燭、假面、酒瓶の栓の白で、囲んで、横のラインは、敷物の紫から赤、假面のオレンジ、酒瓶の黄色、タバコ壺の青と、色彩を展開しています。机の暗さと壁の明るさが、假面、ラベル、タバコ壺に集中させた色彩を鮮やかに引き立てます。当時すでに白内障が進行しているのですが、臆病な彼は検査すら拒否し続けていました。しかし惇の目の奥ではアトリエに雑然と並んだ素材群の姿を借りて、様々な色彩のシンフォニーが次々と浮かんで、それを作品化したい衝動が強迫的に高ぶっていたようです。重い真鍮の蝋燭立てに対応するように、敷物に描かれた白い格子模様が鮮やかですが、この敷物は、数十年前から大切にされてきた化繊の大量生産品の座布団カバーでした。しかし惇にとっては、赤ん坊が引きずるボロの毛布以上に、画面にドラマを生み出す上ではかけがえのないバイプレイヤーでした。そして作家本人が没後ほどなくして、主を失ったボロキレは、火の消えたアトリエから姿を消していました。きっと仮面か蝋燭立てを包むかに、使われたのでしょう。現世を生きる家族の現実的価値観との違いが、さりげなくあらわれた場面でした。

柿
作品名
制作年
1996年(89歳)
サイズ
F80(H1455 x W1120mm)
技 法
油彩
出 陳
第28回日展

「日本人の油彩」を追求してきたこの作家が、「日本の色」でもある柿と漆の赤を、燃えるように表現した傑作です。10号程度の小品では、早くに柿も漆器も、香り高い色彩表現ができていた世界ですが、80号の大作になると、どうしても焦点がボヤけたようです。そこでここでは、じっくりと描きこんだ、<白い砂糖壺と黒い川船ランタンとメキシコの鳥>を脇役に配して、<漆器と柿の重み>とバランスをとっています。重すぎる前面を、明るい壁と洒落たポスターが、画面を軽くしています。ランタンの取っ手左上とポスターが重なる部分が、大作静物画ならではの奥行き表現になっていますが、あざとさがないところが見事です。背後の壁も、前面の役者たちを引き立てるように、さりげなく明暗が配置されて、特にランタン左肩上に伸びる影は、黒いランタンのラインを見事に浮彫にしています。ところで「日本人の油彩」と自称し、しかも実際ここでも日本固有の色を扱いながら、彼の画面には俗な日本情緒は見えません。砂糖壺はロンドン、川船ランプはニューヨーク、青い鳩はメキシコシティー、壁のポスターはパリで、能登の漆器に乗る柿は山形です。彼の色と形の幻想は、とうに国境を飛び越えているところが、この作品の絵画性を一層華やかにしています。

燻製鯡
作品名
燻製鯡
制作年
1997年(90歳)
サイズ
F80(H1455 x W1120mm)
技 法
油彩
出 陳
第29回日展

「いつも物を横に並べることが多いので、今回は縦にならべてみた」と、珍しく微笑んでいた作品です。極端に机の上辺を上に持っていって、遠近法を無視した無造作な三段構成の三角構図ですから、所詮は静物画としては無理があるのですが、赤い玉ネギと青いミルク入れと3粒のクルミが効いて、静物画に見えてくるから不思議です。はっきりと机の筆跡を縦にそろえたり、鰊の鱗や時計の文字盤や玉ねぎや青いミルク入れでも、筆の跡を強調しています。ここの画材表現では、鰊の鮮やかな白い皿に耳があったり、JACK DANIELの文字が鮮明だったり玉ねぎの茎がリアルなのに、どこか夢に浮かんだ静物配置のようで、シューレアがかかった雰囲気があります。「夢に見たものを絵にした」といった類の話は、惇の口からは聞いたことがないのですが。なんであれ、鰊の白い皿から、横の赤い秤と玉ねぎから、斜め上に酒ツボから酒瓶までの鉤状の構図を柱に、画面の隅々まで隙のない神経を張り巡らせて、不思議な静物画に仕立てあげています。どんな奔放な発想でも、きちんと静物画としての規範性に落とし込んで絵の品位をたもつところが、「静物学者」の所以なのでしょう。

ポスターのある静物
作品名
ポスターのある静物
制作年
1998年(91歳)
サイズ
F80(H1455 x W1120mm)
技 法
油彩
出 陳
第30回日展

頑丈な古い机の上に、沖縄の焼酎入、紅茶缶、パイプ、ワインとポットを素直に横に並べて、ユトリロのポスターで縦の広がりを展開したシンプルな構図ながら、年齢を感じさせない力強く明るい若々しい作品です。まるで、パリの路地裏で窓を開けて外を見ている光景ですが、飛行機が嫌いな惇は一度も洋行をしていません。「行かなくても描けるよ」との強がりを、洒落として証明して見せた作品です。ここではポスターの紙の白さが、ほかの色彩を見事に際立たせています。それにしても、自分の絵にユトリロを持ち込むという稚気は、風景画で数々の名作を残している自信があってのことでしょう。ここだけの話ですが、本人は「ユトリロより上手だろ」と、悪戯っぽく笑っていましたが、実は構想を重ねた下絵が10枚以上残っていて。ただの思いつきではなく、油断のない試行錯誤の準備があっての、この画面の溌溂さでした。

テラコッタ
作品名
テラコッタ
制作年
1999年(92歳)
サイズ
F80(H1455 x W1120mm)
技 法
油彩
出 陳
第31回日展

テラコッタにスポットライトを当てて後ろをほの暗くした、珍しい構成です。彼の静物画では、ほとんどが画面にはフラット・ライトで、その画材にも光があたってその存在感を示しているのですが。白い敷物を腰に下ろしながらも、中空を見据えるテラコッタには、自分が託されているのでしょうか。珍しく表情があります。テラコッタの左肩から腕と脚にかけて光があたって、右奥の素焼きの壺に挿された枯れ物の葉と紫陽花に、見る者の視線が流れます。素焼きの壺と紫陽花への美しい描き込みが、夢のような画面のなかで、画面を引き締めています。左の青い台のランプ、中央の拡大された酒ボトル、手前の白い布の襞は、どれが欠けても絵になりません。こうした単純な構図を力強い静物画に仕立てているものは、「毎日絵筆をとる」という積年の修練による構成力であることが、如実にわかる傑作です。

コーヒー挽きがある部屋
作品名
コーヒー挽きがある部屋
制作年
2000年(93歳)
サイズ
F80(H1455 x W1120mm)
技 法
油彩
出 陳
第32回日展

この年の夏、62年間連れ添った糟糠の妻に急死されて、周囲は日展出陳を危ぶんだのですが、絵筆をとることが傷心への癒やしだったのか、完成したのがこの作品です。手前に仮面とコーヒー挽き、後段に胡椒挽きと、3基のランプと青いサイフォンという構成です。前段をしっかり描きこんで、後段をさらりと描いて、奥行きを見せた構図になっています。2基のランプの白と傘の白と仮面の鼻筋の白が、コーヒー挽きの台のきれいな赤と対応して、画面の白の展開の核を作っています。それを囲むように、胡椒挽きからランプの赤、ピンクの油壺と渋い赤系がならんで、前壇の仮面の額のオレンジ色に飛んで、最後コーヒー挽きの赤に、赤系の色が結晶化されています。縦にも、コーヒー挽きの赤に対応して、サイフォンの青を配置し、単純な構成の構図に見えて、色彩の錯綜が複雑に画面を構成しています。静物画の規範である画面構成の規則性を、質感を描ききる具象力と色彩を自由に駆使して、自在に画面に変化と奥行きを展開する惇静物画の特徴は、描き込んだコーヒー挽きの鉄のハンドルを〆として、微塵の揺らぎも見せずに建材です。
この作品のあと、次の年に予定されていた小品中心の個展「塩竈市市制60周年記念『塩竈と杉村惇展』に向けての約百点に補筆し、日洋展向けに「黒い機関車」(F30)を描いた後、日展用(F80)2点に取り掛かりながら、小品F10の「雪の松島」では冬の松の表現に新機軸を打ち出して張り切る合間に(未完で終わった日展用2点の「柘榴」と「テラコッタ」、「雪の松島」は、塩竈市杉村惇美術館に展示してあります)、来年の日展用F80のための構想スケッチも準備して、爆発的ともいえる旺盛な制作意欲をしめしていました。連日午前2時間、午後2、3時間のアトリエ籠りで、この仕事をこなすのですから、順調な仕事振りだったのですが。ちょっと咳が出て、それを心配性の本人が気にして念のため入院した先で、「早く治して、続きを制作する」とつぶやきながら肺炎を併発して身罷ります。彼の画人魂には、生家の没落も、若き日の貧乏暮らしも、何回かの被災や闘病も、ついに影を落とすことがなかったので、生身の自分の命に限りがあることにすら、最後まで彼は気付いていなかったようです。