構成の韻律

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  • ※以下の内容は、杉村豊名誉館長により著されたものです。
港の窓
作品名
港の窓
制作年
1984年(41歳)
サイズ
F50(H910 x W1167mm)
技 法
油彩

前面に置いた机の上の、左に油缶、白いキャップの瓶、黒い鍋と白く光る蓋。画面中央左から、足先が青いワタリガニ、白い腹を見せた魚たちを描いて。バックに大きく窓をとって、明けた窓から曇天に魚市場の建物と、漁船の赤い大漁旗がたなびいています。画面全体は、近代絵画の隆盛時代のオランダ風写実表現の緻密な構成ながら、その陰翳描写で印象派の先駆ともいわれる色彩を抑えたロココ時代の静物画の巨匠ジャン・シメオン・シャルダンの雰囲気に、通じるものがある画境です。
前面の静物では、窓からの光に輝く魚の腹やカニの脚や鍋の蓋が作る陰影が、画面に力を与えています。一方、窓の外は、曇天のもと煙るような建物と船が、ほとんど淡彩でかすんでいます。この陰影に富んだにぎやかな近景と遠くに喧騒を見る遠景の描き分けを、窓枠の光る下辺で接近させることで、画面に緊張と空気の張りを呼び込んでいるところが、この作品の構成上の趣向です。影をあしらった壁と粗末な窓ワクと窓ガラスは、幻想的な遠景の入口として、少し荒いタッチで描かれていますが、それでも窓のノブや金具は丁寧に描かれて、絵画のリアリティーを巧妙に保障しています。
手前左の油缶の蓋の赤が、遠景にたなびく旗にかすかに飛んでいるところが、この絵に品の良いリリシズムを漂わせます。極めて巧緻な構成と具象力での画面作りながら、その技巧を技巧に感じさせない、惇の戦後の画業の出発を飾る名作です。

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作品名
牛骨と舵輪
制作年
1958年(51歳)
サイズ
F100(H1620 x W1303mm)
技 法
油彩

当時のフランス現代絵画の流れの中で、ベルナール・ビュッフェ(1928年~1999年)の太い輪郭線の表現に影響をうけたようです。角を振るう牛骨の隣に馬の骨。手前に壊れた大きな舵輪の半円を描いて、画面右下に枯れたヒマワリの太い茎の曲線をあしらい、太い輪郭で100号の画面を構成しています。一見、乱暴そうな大胆な線が、縦横に画面をうめていますが、いずれも修練を積んだデッサンの技が隙なく展開していて、画面構成には少しの揺らぎもありません。しかもその線は、ビュッフェの鋭い線と比べると、骨も舵輪もヒマワリもやさしくやわらかです。当時惇は、「ビュッフェほど私は狂っていない」と、つぶやいていました。
色調も抑えた淡彩風な画面ながら、廃棄された舵輪の軸の赤さびを中心に、馬の骨に残る褐色の油やバック右のカーテンに、きれいな褐色が展開しています。惇にとって、大胆な造形による牛と馬の頭蓋骨も舵輪もヒマワリも、力強い存在感の追求のためで寓意的意味を持たなかったように、その線には、精神的な荒涼感はありません。

ルパシカとソンブレロ 
作品名
ルパシカとソンブレロ 
制作年
1960年(53歳)
サイズ
F100(H1303 x W1620mm)
技 法
油彩

単調になりがちな静物画の画面に、形と色彩と動きを呼び込むために、惇は画材として、何体かのマリオネットを手作りして、これを繰り返し絵にしています。頭(かしら)は紙粘土で純が形を作り彩色し、色あざやかな衣装は、糟糠の妻が惇の指示で、その意図に応じてボロ布を集めて裁縫しています。そのため人形は頭(かしら)が重すぎて操り人形としての機能を持ちません。現物は塩竈市杉村惇美術館の資料室に展示してあります。その人形を使って惇は、本作品では、100号の大画面の左をあけて、マリオネットを中央から右に寄せて、赤いマリオネットの白髭老人の左に伸びた手から始まった赤いルパシカから右に色が展開し、右端の水夫らしい金茶のコールテンの上着色をも外に画面が広げることで、100号の大きな画面を逆に小さく錯覚させ、描きこまれた人形たちの存在感に見る者の眼を集めるように仕掛けています。白髭のルパシカ老人がかぶる黒いコサック帽子(パパーハ)に対抗するように、その右でルパシカ老人と腕を組んで脚をそろえ上げている老いた黒人のソンブレロが大きく傾いて、その下の派手なメキシコの民族衣装の画面では強いアクセントになっている肩掛け(セラぺス)の模様に使われた色の一部が、隣の水夫の上着に飛ぶという色構成です。この3体のマリオネットは、陽気に酔いどれているように見えますが。これはあくまでも画面に美しく色と形を躍らせるためのポーズにすぎません。その根拠は、このマリオネットたちは、頭(かしら)が重すぎて操り人形としての機能を持たないことです。ですから本作品でのルパシカたちは、マリオネットとして踊っているわけではないのです。惇が展覧会芸術で展開する「マリオネットの動き」は、こうしたイリュージョン(手品の仕掛け)をも駆使した惇の色彩幻想であったことの、ひとつの証左です。人形が腕を組み、足を上げる姿も、その表情の擬人化を抑制することで、くすんだ壁に塊になって吊るされて休息中の人形の姿を写したとの「見立て」になっています。だから「人形画」ではなく「静物画」なわけです。惇の展覧会絵画は、一見すると単純豪快に見えるのですが、時にこうした巧緻を極めた絵画的企図が隠されることがあるので、「玄人好み」といわれ、本人も「絵は、美しければ良い」と自分でも自分の絵を絵解きをしませんでした。
ここからは本人が言いのこしていないので、息子の想像ですが。かつての静物画が持った宗教性や寓意画的意図を、特にセザンヌやマチス以降の近代の静物画は失い、色や構図の斬新さの発露に、絵画性の中心を置くようになり、画面の精神性の密度を後退させました。
それに対して惇は、自分の画面に構図や具象力や色彩といった絵画的企画をちりばめることで、緻密さと奥行きを構成し、自分の絵の幻想美の密度を高める工夫で、独自の精神性を表現したと考えています。
息子にとっての父親像は、文字通りいついかなるときも、自分の絵画上のあらゆる表現の工夫を、静かに追及思考し続けていた姿でした。
彼の「絵画の精神性」という特徴は、そうした真摯な試行錯誤が、そのまま画面の筆致に出た姿だと思っています。

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作品名
パンとチーズ 
制作年
1962年(54歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩

画面を重厚な厚塗りで構成することが画風の特徴のひとつである作品群のなかで、珍しく薄塗りでの明るく洒落た画面の作品です。
0302「牛骨と舵輪」と同様に、当時のフランス現代絵画のベルナール・ビュッフェ(1928年~1999年)風の画趣を追求したようで、机上左では重いコーヒーポット、鮮やかなチーズケース、大胆な骨組だけの机、バックの壁面などに、その狙いがうかがえます。一方、机上に並んだ対象は、それぞれ質感、量感、色彩において、惇固有の写実性が追及されています。例えば、左右に離れて並ぶコーヒーポットは、左が重い金属製で、右は白い琺瑯(ほうろう)引き。その間に並んだ酒瓶はラベルの赤で画面に華やかさを演出し。その前段の2つのグラスは、パイプとレモンでアクセントをつけながら、左のチーズの包装の黄色は、レモンの黄色に呼応しています。挙句に机右端の机の脚の断面は、左足の断面に呼応するという、細分に神経が払われた画面構成になっています。
とりわけ中央のパンは、惇が最も得意とする、「中の柔らかさを見せた表面の固さが表現できないと、パンを描いたとは言えない」が口癖だった彼の、積年の具象画家としての見せ場になっており、乱暴そうに配置した素材は、粗削りの机の表面や、さりげなく置かれた左端のクルミまで、それぞれが修錬された具象力を見せつけています。
この絵を経過して、その後、惇の具象性は、対象描写の重厚な写実性に、後に評論家が「なるふり構わず」突き進むことになります。
一見、後の画風とは違った表現に見えて、後の画趣がすべて丁寧に配置されているという点で、彼の「静物学博士」の異名を呈された彼の絵の自立の契機になった作品です。当時中央の画壇では、この作品に対しての「賛否が分かれた」と、本人はつぶやいていて。その中央画壇の先輩や同輩や評論家の様々な評判から、地方在住作家であることをテコにして、自己の絵画の方向性を選択していく能力もまた、彼の画家としての命運を決めた重要な資質であることを示しているでしょう。

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作品名
鶏と水指
制作年
1963年(56歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩

羽根をむしられて白い大皿に乗せられた裸のニワトリを中央に、左に黒塗りのポットとタマネギ。右にガラスの水差しと大胆な模様の敷物を配置して、爆発するような力を発揮している作品です。惇作品のなかでも、静物画でありながら、これほど剥き出しのエネルギーを見せた作品は、多くはありません。
惇の静物画の多くが静謐な画趣で精神性の高さが評価されるなかで、この作品は画材それぞれの質感の本質に迫る具象の表現力が、後ろのくすんだ瓶やワイングラスやコショウ瓶にいたるまで、ゆるぎない構成の中で縦横無尽にさく裂しています。
これは勝手な想像ですが、裸のニワトリのポーズが、萬鉄五郎の「裸体美人」(1912年Ⅿ100号)のモデルのポーズと似ていながら、左右逆転しているところなどは、惇らしい機知かもしれません。
惇の師匠は、裸体画の巨匠で、「裸婦を描く聖者」「デッサンの神様」とも称された寺内萬次郎(芸術院会員、1890-1964)で、多くの芸術院会員を輩出した門下生の武蔵野会を結成しており、惇はそのメンバーでもありました。
それもあってか、戦前の惇は裸婦デッサンを、妻の「さく」をモデルに数千枚描いたとかで、「戦災で集めたランプがみな焼けたのは、どうでもよいが、あのデッサンだけはイタマシカッた」と、母・さくはよくつぶやいていました。しかしそれに対する惇の毎度の返事は、「絵はまた描けるけど、あのランプたちは、もう集められないよ」でした。
惇は家族や依頼された肖像画などが数点残っていますが、油彩の裸体画はありません。ただこうした戦前の裸婦デッサンの勉強が、後々に影響しているだろう画材に、マリオネットや彫刻の原型を粘土で作成する「彫刻のデッサン」ともいうべき「テラコッタ」があります。
この裸のニワトリは、そうした惇の画材群の中ではめずらしい、最初で最後の作品ではあるのですが、以上のような背景を考えると、息子としては特に奇異には感じません。特にこの年、惇は56歳にして初めての日展審査員をつとめており、普段は知的な描写技術で情感を包み込む職人芸の画風のなかで、惇の意気軒昂な内面がストレートに画面にあふれ出た、めずらしい作品とも言えます。

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作品名
緑の水ビンとランプなど
制作年
1968年(61歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩

白い新聞紙の上のザボンの中果皮の丸く白い輝きを中心に、80号の大きな画面全体が、緻密に構成されています。
ザボンの後ろの古い時計も、大きな緑のブドウ酒瓶も、強い存在を示していないので、この絵を見る者の眼は、自然に中央の細やかな細工が美しい鉄の枠の鏡に流れます。そしてその鏡に映るボヤけたランプの模様に導かれ、右の細やかな花模様のランプに目が流れて、前段のザボン、鉄の鏡、花模様のランプと、後段の時計、緑のブドウ酒瓶という、静物画としての構成が収まる仕掛けです。頑丈な厚い材木で組み立てられた机が、重い緑のブドウ酒の酒瓶よりも「白いザボン」が存在感を発揮する惇の静物的幻想を、絵画としての規範性の中に抑え込んでいます。
それでいて画面全体に幻想性を広げているのは、全体を包む「白」の効果です。左下の机の脚の切り口、時計の下の新聞紙、ザボンをのせた古い新聞紙、黒い鉄枠の鏡の縁の白い輝きと、その直下の鏡の光の反射を写したような細やかな白いカスレ傷、ランプのカサの透明部分に飛んで、右下の机の縁や切り口に白が緻密に配されて、画面全体でザボンの白い輝きを引き立てています。薄グレーの壁も、前面の形と色の展開を、背後から浮き上がらせるように、微妙な明暗とかすれた淡い色を、覗かせています。
描かれている個々の「存在」が、静かな色調のなか、どれひとつ欠けても絵が成立しない「空間」の中で、随所にうつくしい細部を展開し、画面の気品を整えています。惇が展覧会芸術で展開した、彼が言う「存在と空間」研究が、結実した成果の一枚です。

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作品名
制作年
1974年(67歳)
サイズ
F50(H910 x W1167mm)
技 法
油彩

厚塗りの黒いバックの前に、古備前と白い縦縞の黒い花瓶と卓上ランプに、傘独楽をならべたシンプルな構図です。個々の質感と重さと存在感を写実に追求した結果、浮き彫り彫刻のように絵の具が厚くなったといわんばかりの厚塗りです。「派手さはないが飽きがこない」といわれる古備前の焼き締められた表面の滋味が、見事にとらえています。この古備前の魅力に魅了された惇の、壺の表現の感触までも見て取る独特の目が、重い壺並みの重量の絵の具を重ねさせたようです。
その上で、古備前の滋味あふれる魅力を、いかに絵に仕立てるかで、ここからが惇の絵描きとして職人技が踊ります。まず隣の花瓶と花模様のあるランプと民具の駒までが、重厚な気品と威厳を見せて、存在感が追求されます。古備前の魅力に魅かれた惇の眼には、そのままほかの素材も威光効果で同じように見えてくる現象でしょう。
その素材たちの存在感を引きたたせるために、机も壁も、すべてが重厚な存在感で、内側からの力を見せて輝いています。このため、全体では派手な色を使っていないにも関わらず、独楽の模様に色をあしらうだけで、地味あふれる画面全体に美しい色彩が広がっています。重い鉄の台に乗った花模様のランプが、重いガラスの質感と透明感で、古備前の深い滋味を引き立てています。
ここまでじっくり描き上げれば、優等生の静物画なのですが、その先さらに惇は、趣向を凝らしています。まず実際の古備前の黒い花瓶とランプの実物は、背丈が違うので、画面のようには同じ高さには並びません。惇は自分が強く惹かれた対象を、実物より大きく描くことがよくあり児童画で花や自分や友達が家より大きかったりする表現法を、惇は巧みに使いこなして画面に躍動感や強さを呼び込みます。
本作品でも、果たして技巧かどうかすらもわからない、惇の特有のブレがある視覚が働く素材間の距離感が、画面に不思議な楽しさと幻想感を生んでいます。それが不自然にみえないのは、この絵の作画上の要である、2つの壺とランプが形成する机とのラインです。古備前と独楽とランプをほぼ同列にならべて、真ん中の黒い花瓶を少し後ろに下げた、画材の下辺の画面上での出入りは、この幻想画にリアリティーを持ち込んで、見る者の眼をあざむきます。その上で、さらに古備前のハイライトの輝く白が、独楽にも飛んで、真ん中の黒い壺の首に飛び、さらにランプにも飛んで、画面の絵としてのリズムを整えて、統一性を装います。中央の壺の首の輝きはハレーションまでおこして、黒い壁に光を広げ、古備前の輝きと協調しています。
展覧会芸術として、惇の「静物学者」の腕力を見せつけた傑作のひとつです。

花とラッパ
作品名
花とラッパ
制作年
1980年(73歳)
サイズ
F50(H910 x W1167mm)
技 法
油彩

前列にスモモと黒いコーヒー挽きと、花模様の白いジョッキと真鍮のトランペットを置いて、後ろに素焼きの水差しとアーティチョークを投げ入れて、豪快に色彩が踊る作品です。惇は、花も茎も葉も、強く豪快なアザミは、好んで画材に取り上げています。ここでも、素焼きのような茶色い水差しに入れたアーティチョークは、戦後のフランス具象画家の代表であるビュフを思わせる線で、骨太にとらえられています。右のトランペットや、マウスパイプがやや左に傾いているところも、ビュフ似です。
それでいて、水差しも茎も葉も花もトランペットも、重い存在感を見せて、ビュフェ風の線は、画面に力強さと動きを呼び込むために使われていることがわかります。明るい壁を背景に、アーティチョークの花の鮮やかな青紫に始まって、スモモの色といい、コーヒー挽きの黄色いラベルといい、トランペットの真鍮色といい、多くの色がちりばめられています。
惇は「色はきれいなものだから、汚してはいけない」とつねづね口にしていたので、ここでも白のジョッキを中心に、スモモの明るさ、画面中央上のアーティチョークのきれいな蕾、水差しの底の茶色、コーヒー挽きの黄色いラベル、ジョッキの赤い花、トランペットのベルの真鍮の輝きといった色彩のバランスが、華やかななかにも落ち着いた色調で、見事に秩序づけられています。
形の展開としては、野放図に広がるアーティチョークの花と葉と蕾の勢いを、左の水差しの取っ手、コーヒー挽きの黒い弧をえがく挽き手、トランペットのピストンバルブとバルブゲージが、画面の要所に配されて、画面を引き締めています。惇の静物画は、ほとんどが画面中央に視点を置いて、静物画としてのオーソドックスな画面秩序の中で展開しています。
画室の光景を描いたように見える構図でも、どこかアトリエであることを暗示していながら、画面は静物画の規制を守り続けています。バックに窓を描いて外の景色を取り入れたり、ポスターを配して画面に変化をつけても、この点は、特に公募展出陳作品では例外はないようです。(10号以下の小品では、斜め上から画材を見下ろした、驚くような奔放・豪快な作品が、2,3点あります)
これは推測ですが、惇は静物画としての規範性を自分に課すことで、画面内での自由な創造性の展開を目指していたように思います。最晩年、惇は「私の絵は、生涯一貫している」とつぶやいていますので、その「一貫性」のひとつは、この展覧会芸術としての静物画の規範性の中での「存在と空間」の追求であったように思います。

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作品名
秤のある卓
制作年
1997年(90歳)
サイズ
F30(H727 x W910mm)
技 法
油彩

前面左に白いコーヒー缶、赤いパイプ、上皿天秤ばかりを置いて、後の段に、中央から右に黒いコーヒー挽きとアンズを漬けたガラスの壺を配した、単純な構図です。右の天秤ばかりの端が欠けて、画面画右への広がりを暗示している以外、目立った特徴のない単純な構成でいながら、ここまで緊迫した強烈な絵にできるのは、ひとえに惇の個々の画材を捉えきる具象力でしょう。輪郭をかすませた黒いコーヒー挽きと梅酒のガラス壺をバックに、わずかな重みも逃さない天秤ばかり中央の鋭い針が、画面に鋭い緊迫感を呼んでいます。天秤皿内側の真鍮色の輝きが、重い石で出来ている天秤ばかりの土台とともに、レトロ感を醸しだしています。実はこの天秤ばかりは、高齢で廃院したある女医さんが長年使っていたものを、「惇の画材に」と仲介していただいた方への、惇の強い思い入れが、背景にあります。惇の作品では、作品の巧緻さや迫力や画材の組み合わせの風韻に、画材や関係した人物への投影同一視が強く影響していることが良くあります。ここでも天秤ばかりのあしらいには、惇の強い思い入れから出た工夫と情念が感じられます。それにしても、素焼きのパイプの赤が強烈です。画面右側の天秤ばかりとコーヒー挽きと梅酒壺の画面での重みを、このパイプと距離を置いた白いコーヒー缶が引き受け、画面上に色と存在感のバランスを秩序立てることで、絵を成立させています。惇の深い情念を、惇がいう「存在と空間」絵画に結実させた、傑作のひとつです。