海の韻律

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  • ※以下の内容は、杉村豊名誉館長により著されたものです。
鰊
作品名
制作年
1947年(40歳)
サイズ
P10 (H410 x W530mm)
技 法
油彩

縁に波のある白い皿の上に、頭を放射線状に広げた3匹の鰊が、右2匹は背をむけあって並んでいます。たっぷりとした脂ののったふくよかな腹と鱗のキラメキを、心ゆくまで描くためのこの構図が、まず見事な工夫です。その上で丁寧な観察から生まれた鰊の表情が、その重量感も含めて、隅々まで描きこまれています。塩竈の魚市場から100mの場所に居を構えて、惇は自分では食べない魚を、その味覚までも想像して研究した成果です。魚市場で魚を日々の生業にする人たちへの、東京から疎開してきた美学校出の絵描きの挑戦状なのでしょう。官能的感触にまで迫る惇の眼は、この段階ですでに、見えたものを絵にしていく独特の幻想力を伴っていますが、これは学生時代の惇を見出した師である、生命感あふれる肌の裸婦の巨匠・寺内萬次郎(芸術院会員)の影響でしょう。人の感覚には「揺らぎ」があって、音楽家や文学者のなかには、文字や数字に音が聞こえ色が見える人がいるそうですが。惇の眼にもそれに近い「揺らぎ」があって、それを絵を見る人の中から共鳴的に呼び起こすことで、絵に生命が宿る仕掛けが惇の絵にはあるようです。戦前の絵はほとんど焼失しているので比較がむずかしいのですが。残っている絵から見る限り、戦後の惇作品から現れるこの鮮やかな具象力は、魚市場で出会った新鮮な魚たちから学んだようです。後年、後輩に惇は、感動を生み出す素材を「自分の鉱脈」と表現して、「その鉱脈を見つけなさい」と示唆していましたが。なんであれ、惇の描く魚には「蝿が止まる」との伝説を生んだ具象力がありました。

魚のある卓
作品名
魚のある卓
制作年
1951年(44歳)
サイズ
F50 (H910 x W1167mm)
技 法
油彩

交差して白い皿の上にのった魚が白く輝いて、理知的で堅牢な優れた画面構成と、詩情に溢れた静謐な場面描写、繊細でありながら精神性を感じさせる重厚な色彩、柔らかく包み込むような光の表現など、18世紀ロココ時代の静物画の名手ジャン・シメオン・シャルダンを思わせる画境です。左で縦に重なった〈壺、瓶、敷物〉群と、右の〈玉ねぎ、ガラスのコップ〉群が呼応して、バランスをとって、その背景で、影のようにぼかされた〈ドア、杓文字、フライパン〉が、画面に奥行きを与えている点が、ロココ時代のシャルダンの装飾的構図とは違った現代絵画の緻密な構成が工夫されています。光の明暗の配置と、壺や酒瓶のハイライト、中央の長い皿と魚の腹部は、スポットライトが当たっているように白く輝いて、コップの縁と玉ねぎに飛んだ白が、画面の横の流れを支配して静謐感を生んでいます。しかしこの静けさが、魚市場から出た道が国道45号線と交差する、街で一番喧騒を極めた四つ角に面した2階の部屋で描かれたことを思うと、この夢のような静謐の幻想性には、この作家が自分の絵を追い求める心の奥の深い垂心が見えてきます。

長皿の魚
作品名
長皿の魚
制作年
1962年(55歳)
サイズ
F80 (H1120 x W1455mm)
技 法
油彩

戦後フランス絵画のフォーヴィスムの潮流をうけて、一見すると表現が荒々しくなっています。しかし仔細に眺めると、構図そのものは複雑です。まず目につくのは、入り組んでひしめく6匹の魚を載せた白い長皿と右の吊りランプの広い傘です。吊りランプの本体を暗く影にして、ナイフの絵を配置して、ここだけひとつの空間を形成しています。画面左ではクルミとパイプを入れたグラスとコーンの缶詰と酒瓶と卓上ランプで、縦に壁を作って、小魚の皿と笠の重さに対応しています。さらに仔細にながめると、白い長皿の上で、メバルとイワシが交錯して、茶と白と黒とで、胴体の官能的鱗の新鮮さを美しく競いあっています。この色の群れに対して、左の立の壁では、左端のコーンの黄色にはじまってグラスの中のパイプ、グラスを透かして覗く酒瓶のラベル、縦に下から、クルミ、魚の尾、酒瓶のラベル、酒瓶の口、ランプの油壺と、色彩がキラメキます。壁は、左端を暗くして、一端、酒瓶とランプの起立を強調するために、明るくなって、画面右側の白い皿とランプの傘の明るさを反射したように、壁が明るくなって、見る者の眼を右に流していきます。配置した素材を描いた具象力が、ただの写実におわらないで、画面全体に緊張と動きと流れを演出しています。こうした光の緻密な配分があって、長皿の白は一層の輝きを際立たせます。ひとつとして偶然の色も光もなく、「長皿の魚」を中心に、細部と全体が絶えず呼応しあって、「静物学者」の緻密な画面構成力が展開した作品です。

海のランプ
作品名
海のランプ
制作年
1965年(58歳)
サイズ
F80 (H1120 x W1455mm)
技 法
油彩

まず目につくのは、圧倒的な重量と存在感を見せる赤と白との船舶灯と、無造作に並べられた3匹の魚の表現力の具象力です。惇の目が捉えた存在感が、独特の誇張(デフォルメ)で、「力」を表現しています。そしてそれを囲む、黒い油缶から新聞紙、2本の酒瓶、缶詰、コーヒー缶、玉ねぎと机と壁が、船舶灯と魚の幻想的存在感を支えています。とりわけ右の酒瓶の、手前の酒瓶越しに覗く後ろの瓶のラベルのかすれ具合や、しっとり重い壁の質感は、誇張された赤白の船舶灯の幻想的画面に、静かなリアリティーを与えています。さらに静物画としての画面構成としては、左の白い船舶灯から、新聞紙、3匹の魚、酒瓶の白いキャップ、トウモロコシの白いラベル、玉ねぎ、コーヒー缶のラベルへと、大きな弓状に白系が弧を描いていて。左の油缶の黄色いラベル、赤い船舶灯、青いコーヒー缶は、それに拮抗する山形を形成して、画面を安定させています。その上、油缶と新聞紙と机が角をもつだけで。画面全体は、弓状のラインが、白い船舶灯でも、赤い船舶灯でも、魚でも、缶詰でも、玉ねぎでも、コーヒー缶でも、いくつも波のように下弦の弧を描いて、画面全体にリズムを生んでいます。こうした隅々に神経がいきわたった職人芸の画面構成こそが、展覧会芸術として会場を圧倒する迫力にあふれた画面を、規範性ある静物画に仕立て上げているわけです。

ランプと時計
作品名
ランプと時計
制作年
1965年(59歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩

左側の黒いコーヒー挽き、2つの白いランプの傘、小さな透明のグラス、果物をいれたガラス鉢、小さなスモモまでの大きな三角群に、背後に赤の船舶灯と青い卓上ランプをおいて、そこから少し離して時計を置いて静物画としてのバランスを整えた素材群を、板を打ち付けただけの作業机が支えているところが、「存在と空間」を終生のテーマにした「静物学者」としての構成力です。そのなかで、中央の白い透明な小さなグラスを起点に、左はランプの白い2つの傘へ、右は、果物をいれたガラスの鉢を経て、右の時計の白い文字盤に抜ける、白系の太いラインが画面を貫いていた上で、黒、白、ピンク、赤、黄色、青と色を展開して、画面に渋い華やかさを展開しています。そのにぎやかな素材群の並びのなかで、コーヒー挽きの挽き手、左のランプの吊り金具、右のランプの捩じつまみと時計の目覚まし金具が、うれしそうに画面にちりばめられています。机の材木の切り口もそれぞれ変化してきれいですが、青い卓上ランプ・スモモと時計の間の「空間」を表現した板とその下の箱側面の板が、絶妙なリアルさで描かれています。とりわけ、画面左下に描かれた壁に立てかけられたキャンバスの木枠と荒い裏地は、この絵自身がアトリエで惇が妄想した「静物画家の幻想」であることを告白していますが、それをあからさまには描いていないところが、この作家の洒落気です。

青いランプ
作品名
青いランプ
制作年
1969年(62歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩

机の前列に、左から色の無い机上ランプ、缶、胡椒入れ、ミカン、花模様がついたジョッキ、古く重い時計を並べて。後ろに裏の蓋を開けた船舶灯を置いて、前の青いガラスを背後から覗かせた構図です。透明な卓上ランプの油壺の中の褐色の芯、ミカン、コップの花、時計の真鍮色、船舶灯の青いガラス以外、色らしい色がないこと。画面左で机の角を見せ、机の右端を少し上げることで、左の奥行きに画面を広げて見せることで、おのずと見る者の眼は、船舶灯の青に吸い寄せられます。夢の中のような色淋しい幻想構図ですが、下の机の微妙に歪んだ表現で立体感を見せた描写が、画面にリアルさを呼んでいます。中でも机の左右の脚の切り口と、右の三角形の隙間がきれいです。壁も紺の混じった灰色が、左は明るく、右は暗く、見る者の眼が、自然に右に流れるように仕掛けられています。展覧会芸術として、周囲の力作のなかで、客の目を一転に集める趣向が、絵画としての美しさのなかで、丁寧に張り巡らされています。当時展覧会場であった灰色の壁の都の美術館の会場で、「自分の絵を見ることが、一番勉強になる」と言って、自分の絵の前に立ち続け、「自分の絵を何時間も眺めている絵描きさん」と会場監視員のご婦人の間で有名になった惇ですが。会場で遠くから見て客がすぐに「惇作品」とわかる掴みがあり、近くに寄って、細部の美しさに驚く具象力で得た「静物学者」の献辞は、こうした研究の積み重ねの成果でした。

煤けたランプと人形
作品名
煤けたランプと人形
制作年
1970年(63歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩

2体の仰向けた人形と古い信号灯で、中央に三角の構図を作って、左に白い陶器の鈴、右の木の実を入れたグラスで、バランスをとっています。静物画の古典としてのオランダ絵画のシャルダンや、近くではマチスやセザンヌといったヨーロッパの巨匠たちが、個々の具象力を雄大な装飾性の中で展開する静物画と惇作品をくらべてみると。惇の作品は、始終、静物画としての画面構成の規範性を守り続けていますが、逆にこの規範性があるから、一見、同工異曲に見える素材群は、構成・色彩・質感・間合い・風韻といった要素で、千変万化の豊穣な展開をみせながら、少しも破たんのない画面を構成し続けるという、「展覧会作家」としての戦略があったように思います。惇の50号から100号といった展覧会作品は、元々、生真面目な性格がアカデミックな教育を受けて、精密な具象力を、独自の視力で物の本質に迫ったデフォルメ表現を武器に、ヨーロッパで流行したフォービイズムの力強い構成の中に溶け込ませたととらえられるでしょう。ただフォービズム的表現が、一時的な借り物ではなく、他の追従を許さない独自の絵画美を構築した理由を考えると、彼の究極の「創造性の鉱脈」は、惇独特の官能的触覚に迫る特異な眼力に原点があって、それがあるために最晩年になっても尽きることのない創造性の爆発につながったと思われます。本作品でも、画面に動きを呼び込む以外の意味を託されていない人形の表情と、煤けたランプや汚れた机の美しさを表現する具象力が、画面に力を呼んでいます。この惇独特に見える美意識は、歳月を経て損傷のある仏像や工芸品を、「古雅」「枯淡美」としてその風韻を尊重する日本人の美意識に収斂していくのでしょうが。惇が描く美の対象は仏像や芸術品ではなく、古いランプやコップや酒瓶や、廃棄された舵輪・壊れたラッパ・色の剥げた堤人形といったガラクタに、目が向いているところが特徴です。日本では、捨てられた器物が妖怪になって行列する、平安末期に生まれたとの伝承がある「百鬼夜行絵巻」がありますが、特に江戸時代には「百器夜行絵巻」として、日常雑器や職人が使う道具が、年月を経て「付喪神」と化して行列する絵巻が生まれて、明治・大正時代まで描かれ続けてます。しかし東北大・宮教大の教授まで務めた知性人である本人の口からは、付喪神と画想との関連は聞いたことがありません。

秋卓
作品名
秋卓
制作年
1982年(75歳)
サイズ
F100(H1303x W1620mm)
技 法
油彩

前面に白い船舶灯を置いて、左に古い牛乳缶と仮面、右に石炭入れのバケツに枯れ葉と薪をいれて、背後に舵輪とランプを配しています。船舶灯の白と石炭バケツの黒の対比を、牛乳缶の古ぼけた錆び、仮面の額の鉢巻、舵輪の軸受けの錆びや、枯れ葉や薪が、華やかに彩ります。特に鮮やかな色彩は使っていませんが、いかなる色の配置の妙なのか、中央の船舶灯の白さが輝いて全体を明るく華やかにしています。その上で、画面を楽しませる、仮面の口許や、舵輪の上辺の継ぎ目、舵輪右の欠け具合、白い船舶灯の吊り金具がそれぞれの役どころを心得て、大きな茶色の枯葉は小気味よい葉の硬さまで見せて、画面全体にリズムを作りあげています。あくまでも絵画的幻想美を追求した絵ですが。それを「さもありげに見せる」、ここでの「幻想の真実性」の仕掛けは、左の牛乳缶の質感と錆びの表現と、右の薪の硬い樹皮のリアリティーを、画面の左右に配した趣向でしょう。極めつけは、3本の薪の左端の長い薪の切り口です。100号の大画面の幻想絵画を、この切り口ひとつで、大きな絵空事に緻密な真実性を装わせる手腕は、「絵の職人」の面目躍如です。これほど大画面を自在に操りながら、面白いことに、人に対しては、すぐにわかるウソで担ぐことは、ときどきジョークとしてやりましたが。本気のウソは全く策を持ちませんでした。現実はもっとむずかしいので、惇は「自分には歯がたたない」と諦めていたかもしれません。