季節の韻律

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  • ※以下の内容は、杉村豊名誉館長により著されたものです。
アマリリス
作品名
アマリリス
制作年
1965年(58歳)
サイズ
F10(H530 x W455mm)
技 法
油彩

黄土色の素焼きのようなシンプルな花瓶に、白いアマリリスの幻想が鮮やかに浮かび上がっています。画面上部で、4人の白い女神が背中合わせに円陣を組んだような立ち姿のうち、3つが画面からはみ出して、前面の花弁の勢いを際立たせています。4つの花の美しい輝きと複雑な陰影は、単純な白い花弁の並びに豪華な動きを生んで、生気と歓喜があふれます。それを、画面中央からやや右に寄った太い茎と剣状の葉が、力強いシンプルさでしっかりと支えています。さらにそこに、バックの壁の暗い花模様が、一層、アマリリスの白の展開を下支えし、際立たせています。単純な構図に見えて、F10号の画面は、アマリリスの「白の夢」のための綿密な工夫に埋め尽くされています。惇の幻想芸術では、この画面上の色の複雑さとシンプルな筆遣いの区別、構成上の明暗の配置といった要素が、厳密なヒエラルキーのもとに構成されていて、それこそが、画面に凛然とした気品と威厳を作り上げていることが、良くわかる作品です。

no image
作品名
川内風景
制作年
1966年(59歳)
サイズ
P12(H606 x W455mm)
技 法
油彩

新緑にはまだ早い早春の季節でしょう。前面の土と芝に訪れた春の温もりが、殺風景な白のペンキに塗られた教室の、ところどころ古ぼけた建物にも広がっています。惇の風景画では、季節のかすかな気配を細かくとらえて積み上げていく作品が多いのが特徴です。ここでも、雪解け直後のままのように形が整わない手前の草木から、その奥に広がる大学キャンパスの敷地の奥行きを画面中央にとらえているので、それがそのまま中景の白い教室に、姿はみえていない学生の動きを連想させています。とりわけ見事なのは、遠景の小山の崖と樹木です。木々は黒一色で描かれているようにみえながら、その中に東北の遅い春の萌えかけた新芽が感じられるリアルさがあり、軽いタッチで描かれていながらも、的確に活写されている木々のたたずまいは、キャンパス風景の一部を切り取った画面に、奥行きとリアリティーを与えています。とりわけ、画面左奥の一本高い松は、丘全体に広がる息吹をとらえており、この景色を知る者にとっては、吹く風の冷たさを思い出すほど、深い郷愁を呼び起こされるとのことです。惇の風景画の季節感は、きっちりと隙なく画面が構成されていることによって、逆に浮かびあがる風韻であることが、良く見えてくる作品です。

梅ほころぶ
作品名
梅ほころぶ
制作年
1965年(59歳)
サイズ
F10(H455 x W530mm)
技 法
油彩

仙台市八幡町時代の自宅付近から見た、関山峠を経て山形県天童市にいたり、途中に鳴合、広瀬川、作並の温泉峡がある作並街道(国道48号線)の風景です。近景に、古くは仙台を出て最初の宿場町であった八幡町の端の、力がこもった屋根を背景に、春のまだ冷たい風土の影響で硬いままの枝に咲く梅を、丁寧に描き込んでいます。中景に描かれた左に向かう道が作並街道で、道にそって並ぶ家が見える文殊菩薩堂の森の南端を右に曲がり、街道は関山峠に向かいます。逆に、右に下る坂は、市内を流れる広瀬川の河原に出る道です。画面左の白い壁が見える家の奥の黒い丘陵は、広瀬川の対岸の山になって、左下は描いてありませんが、広瀬川の河原になります。中央やや左で途切れて山に吸い込まれていく白い道は、これから延々と山と森が続く街道の道行きを暗示しています。逆に、実際よりははるかに太く描かれた河原に下る道が、明るい色で描かれた中景の河岸の崖の起伏と、文殊堂の杜を浮かび上がらせています。さらに、黒く対岸の丘陵と木々を描いた先には、まだ寒いとはいえ春の気配を感じさせる奥山を重ねています。
この山形と仙台を結ぶ作並街道の要所の旧・関山隧道(トンネル)は、明治草創期の中堅官僚で初代の山形県令・三島通康が工事させたものですが、鶴岡藩の出身だった惇の父・正顕は、その三島通康に青年期から仕えたひとでした。後に正顕は、長女を仙台藩重臣の家系に嫁がせていて、作並街道は惇が仙台に縁を持つ遠因にもなった道でした。強い主観力で生きた惇は、こうしたはるかな追憶や感情移入によって、見えるものが大きく変わってくる目を持っていたひとでした。惇は当時のこの地形と光景を忠実に写しているのですが、街道が描かれた中景・遠景では、キャンパス地が透けて見えるほどの薄い絵の具で、写実とデフォルメ(誇張)を絶妙に使いこなすことで、この風景画に夢のような遠近感と風韻をもたらしています。油彩の多彩な表現力を知り尽くした惇がその技法を駆使した、日本人が描いた幻想画のひとつの到達点です。

新緑仙台
作品名
新緑仙台
制作年
1968年(61歳)
サイズ
F30(H727 x W910mm)
技 法
油彩

戦前の仙台で一時教鞭をとったこともある惇は、戦災を受けたとはいえ、街並みから緑が消えた戦後の仙台に、少し不満があったようです。八幡六丁目の丘にあった自宅から見た眼下の新緑を大きく前景に取り入れて、「杜の都・仙台」の「今」を再構成してみたかったのでしょう。さまざまな新鮮な色が踊る「新緑」もまた、惇を魅了した画材のひとつであり、ここでも、人の手が入らないまま野放図にひろがった枝葉の、のびのびとした雑木林が、力強い生命感を美しく展開しています。前景中央の、一度乗せた絵の具を削り取とって枝葉の鋭さと空間を表現する手法は、惇の修練の技です。左右には勢いある樹を配して、前景だけで新緑の雑木林の美しさと勢いと奥行きを描いており、ここでも「存在と空間」の構成力を見事に展開してみせています。中景は、左に黒く大崎八幡の杜を配して、そこから右に八幡町中心の広瀬川河岸の街並みをとらえ、遠景には左から右に蛇行する広瀬川の堤防のむこうに、仙台中心部のビル街を描いています。中景・遠景の街を描く丁寧な筆遣いが、明るい地方都市に住む人のざわめきと営みを伝えてくるところが、惇の筆の風韻です。

早春の丘
作品名
早春の丘
制作年
1975年(65歳)
サイズ
F15(H530x W652mm)
技 法
油彩

仙台市の八幡6丁目の丘の上に自宅があった時代の、自宅へいたる上り坂の中腹にあったお宅が中心に描かれています。「家の周りの青いフェンスが、面白い」とかつぶやいていた記憶があります。このお宅のご主人の趣味で、「中型犬を庭で放し飼いするためのフェンスですよ」と説明されたのですが、まさか普段は挨拶すらしたことがない方の個人宅を惇が絵にするとは、その時は思いませんでした。確かに、手前の畑は最近植え付つけの準備で耕されたらしく、新鮮な土の香りが漂うような色彩で、それにフェンスの青が良く映えています。家の壁の薄紫色も、後ろの杜やさらに後ろの崖のトーンともに、春の息吹が感じられる色調です。しかし、描きたいから、他人様の家を丸ごと一軒、絵にしてしまうという衝動性は、特殊な様式の古い茅葺き農家や、都会の街角の景色にビルや看板を描きこんで絵にしてしまうこととは、少し趣向が違う気がします。それにしても、遠景の丘の上に活写された木々の変化にとんだ姿と、それが右に流れて、微妙な遠近をつけながら大崎八幡の杜の端につながっていく描写力は、見事です。この景色を最後に目にしてからすでに数十年の時間が過ぎていますが、この遠景の丘と杜の姿は、今でも家族の記憶にはしっかり残っています。おそらく写真では、ここまで鮮やかな記憶として蘇ることはないでしょう。何であれ、惇が絵を描きたくなる詩因というかきっかけは、こうした色や形が複雑に変化している状況であり、それが季節の変わり目を描いた作品が多い理由であったようです。少なくとも、本作品でこのお宅が絵の中心に描かれた理由は、青いフェンスと壁の色と、メルヘンのようにシンプルな屋根の形以外には、ないようです。

静かな時間
作品名
静かな時間
制作年
1984年(77歳)
サイズ
F12(H500 x W606mm)
技 法
油彩

重い真鍮のガソリントーチランプと白木のシンプルな砂時計です。厚く下塗りをして、その上に白と茶系の絵の具を、じっくりと時間をかけて乗せ重ね、その質感と存在感を描き込んだ、惇独特の静物幻想です。2つのまったく関連のない素材を横に並べただけというシンプルな構図で、トーチに釣り合うように砂時計が拡大されて描かれているぐらいで、特に画面構成に意図的な仕掛けもありません。2人芝居の抽象的セリフ劇のように、個々が強い存在感を見せて対立し、互いを際立て競いあう趣向もありません。しかし、それでいて、トーチの質感と重量感は失われておらず、砂時計も、天井板の表の木目や、底の裏板のザラつきなどで、それぞれがしっかり個性を主張しています。強いて言えば、左のトーチ側がやや暗く、右の砂時計側が白木の枠にひかれて、明るいトーンになっているぐらいが、画面に動きをあたえる左右の違いでしょうか。一方、机には、それぞれが姿に映ったような、きれいな色彩が展開し、右側の壁が、下地の青の美しく透ける、夢のような白を基調として彩色された画面のなかで、2つの画材が色と光の精霊と化して浮かび上がったような、不思議な幽玄性が漂います。トーチと砂時計の姿を借りた、油彩の具象的表現技術による色彩の展開を軸にして、物体が色と光に還元されていく瞬間を再構成した、「惇の幻想絵画」ともいうべき画境です。描く物の形を力強く打ち出す惇の具象造形に、いつも漂う独特の精神性と風韻は、物を色と光に還元していく独特の眼にあったことを示す、重要な作品です。

あけび
作品名
あけび
制作年
1988年(81歳)
サイズ
P8(H333 x W455mm)
技 法
油彩

黒い輪郭のアケビを、机のやや左に寄せて、豊満な俵型の輪郭に豊かな秋を表現し、壁の黒と直線の机の角を描きこむことで、アケビの黒い曲線を際立たせています。アケビの表皮は、グレーがかった茶色と紫の凹凸で、中に詰まった甘い実の存在を描いており、惇の具象力の確かさを見せつけています。机の表面の黄土色も、ザラついた表面の質感を描いて、全体的に野性味を演出しています。そこに2つ、中の明るいグレーのゼリーの果肉と白い種と表皮の裏を描き込んで、アケビの実の冷たく輝く甘味を鮮やかに打ち出しています。古来、サクラが春の訪れを喜ぶ山の神の姿を象徴したように、アケビは、栗、ザクロとともに、秋の豊穣を歓ぶ神々の笑いを象徴するものとして「秋の三笑」と呼ばれ、縁起物として多くの作家が絵にしてきました。この作品は、フォービズム風にアケビの俵形や机が勢い良く描かれていますが、その絵画性は、緻密な配色と繊細で手練れた具象力によって支えられています。F8号の小品ながら、「惇のアケビ」と呼ぶにふさわしい、他に類を見ない自立した傑作です。

no image
作品名
春日
制作年
1990年(83歳)
サイズ
F10(H530 x W455mm)
技 法
油彩

赤い毛氈の上で、左の男の子の出世の象徴である「鯛担ぎ」を、右に敗軍の将とはいえ若武者「敦盛」の古い堤人形を並べており、バックには縁起物の松の模様をいれていますから、「端午の節句」の人形飾りの図なのでしょう。春の季語でもある「春日」と名付けた理由は不明ですが。「鯛担ぎ」と「敦盛」の堤人形の立ち位置を変えた別の作品でも、「春日」と惇は名付けておりますから、それなりの理由があってのことと思いますが、その理由は聞かされていません。何であれ、堤人形の素朴な風姿に、左の「鯛担ぎ」では童子の力んだ姿を、右の「敦盛」では、荒波に向かう馬の健気さと、後ろから呼びかける声に耳を傾ける馬上の若武者の表情をかすかに加えて、単純な構図に動きを呼び込んでいます。身をよじった堤人形にほどこされた胡粉の白とかすれかかった彩色により、粘土に乗せられた顔料の質感と土人形のヴォリュームが、手に取った際の重みが感じられるほどに捉えられています。色のバランスとしては、左の童子の衣装の黄色と担いだ鯛のかすれた鱗の隣に、白の馬体にまたがる若武者の鎧が、渋い色調で描きこまれており、バックの黄土色の布と薄緑の松の模様が、要所に配された黒の輪郭に、力を与えています。とりわけ、前面の毛氈の明るい赤は、2体の人形に散らばる模様の地味な赤を、きれいに引き立てています。実は、この絵のモデルになった古い堤人形は、すでにほとんどの色が剥げ落ちた古いものでした。その落剥した色を、惇が想像で復元彩色したのがこの作品です。題名の「春日」も、色が剥げ落ちた古い堤人形を前に、アトリエで惇が妄想彩色した「ある春の日」、というほどの意味なのかもしれません。

晩秋蔵王
作品名
晩秋蔵王
制作年
1993年(86歳)
サイズ
P10(H410 x W530mm)
技 法
油彩

近景の中央左の道の手前に、鮮やかな紅葉の一群を描いてポイントにして、その背景の平地に広がるまだ赤い杜を、奥行きを見せながら描いています。中景には、黒い針葉樹の丘に折り重なる麓の低い丘陵を、肉厚骨太の輪郭で描いており、量感と奥行きを表現しています。また、何度か時雨に当たって暗さを帯びた茶色の山は、見る者に奥山の秋の深まりを想像させ、その上で、雪をかぶった遠景の蔵王の姿が、一気に乗せ描かれています。近景・中景・遠景を確実に描き分ける風景画の基本的規範を忠実に守りながら、それぞれのなかで、また奥行きと存在感を描き上げ、遠景の蔵王でも、雪に煙る中腹と白く輝く頂上の尾根を描き分けることで、遠い距離感を表現しています。とりわけ、近景の紅葉の林を横に走る白い道は、画面左寄りの道の手前のあざやかな赤い一群の木から、その上の中景で折り重なった深い奥行きを見せる山々と、さらに遠景蔵王の白く輝く頂という、この横画面の絵における縦軸の3つのポイントに、見る者の眼を引き付けていきます。惇の風景画で描かれた道は、画面上では重要な働きをすることが多いのですが、この作品でも、この道一本が、画面に動きと命を吹き込んでいます。

アフガニスタンの絣
作品名
アフガニスタンの絣
制作年
1995年(88歳)
サイズ
F12(H500 x W606mm)
技 法
油彩

惇の制作活動では、日展・日洋会といった中央の大きな公募展へ出陳する、50号~80号、100号といった「展覧会芸術の作家」としての大作が、例年のルーチンとして定着している一方、30号以下の小品では、「自分が描きたい絵を描きたい」という動機が、作品制作に直結する例が多くあります。とりわけ、このアフガニスタンの絣の意匠の形と配色と織の美しさに、惇は相当魅かれていたようで、詳細な研究スケッチが残っています。したがって、この作品は、伝統的な民族意匠への「オマージュ作品」ともいえる作品です。惇は、例えば何度も絵に登場する古い堤人形などでは、落剝した彩色を空想する作業を通じて、対象に自分の幻想を重ね、ふくらませた結果を絵にしています。一方、この作品の場合は、絣の模様と色の美しさを映えさせるため、周囲の素材を選択して、構成しています。左の頑丈な大きな鉤がついた重く黒いトーチは、絣の繊細な織りの美しさを引き立たせています。右のギリシャのジョッキの内側の色とクルミは、壁の絣の赤茶を絵の前面に引きだして、画面全体を炎上させています。机に敷かれた敷物の色調は、絣の赤茶を映えさせるためだけに配置されています。ジョッキの側面に描かれたギリシャ風衣装の人物模様が、勢いある画面に唯一優しさを呼び込みながら、頑丈なトーチとともに、シルクロードを連想させています。しかし、この絵から浮かぶシルクロード幻想は、はるか遠くを夢見る抒情的なものにはほど遠い、燃え盛る炎のような、惇の88歳の幻想力の迫力を主張しています。

枯れた花
作品名
枯れた花
制作年
1999年(92歳)
サイズ
F30(H910 x W727mm)
技 法
油彩

黒いバックを背にして、白い壺に枯れた花と葉と枝をにぎやかに挿しこんで、絵にしています。花々は、黄色と白で、豪快ながらも緻密に丁寧に描き上げられています。夏に描いた白い泰山木やヒマワリやアジサイたちを、そのままアトリエで枯れさせて、日々その小さな色と形の変化を観察研究して結晶化してきた「幻想美」の成果が、豪快な画面構成のなかで、緻密なバランスで展開しています。画面左の下に伸びたガーベラから、硬い葉に囲まれた泰山木の花弁と花芯、その背後に花紫陽花の枯れて軽くなった花弁があって、さらに上に伸びた細やかな葉が飾ります。画面右側には、ヒマワリと紫陽花を配して、その背後にオミナエシでしょうか、繊細な枝が散開し、右上にムギらしい穂が伸びています。まるで精密な金細工でできた秋の王冠のような豪華さです。油に汚れた古いランプや色が落剝した堤人形を、豪華に華麗に変身させる惇の幻想力が、ここでも見事に「枯れ花の美」で結実しています。そして、この幻想を支えているのが、白い肉厚の壺です。厚くかけられた白い釉薬の、壺の左右の端で垂れている泡立ちが、「惇の幻想」における真実を支える具象力です。晩年、惇は爆発的なエネルギーで、次々と作品を制作しますが、そうしたなかでも、本作品は、美しさといい、構成の豪快さといい、表現の繊細さといい、群を抜いた傑作のひとつです。

花曇り
作品名
花曇り
制作年
2001年(93歳)
サイズ
F8(H380 x W455mm)
技 法
油彩

(惇は1986年に八幡町から国見ケ丘に転居しますので、この制作年は、「惇が最後に手を入れた作品完成年」という意味です。年齢も、誕生日の一か月前にみまかっていますので、93歳にしてあります。)
自宅があった八幡町の丘の上から、市街地の景観を描いた絵を、惇は何枚も描いています。この絵では、近景中央にパンジーをおき、右下にサクラを覗かせ、新緑にはまだ早い丘を包む杜の木々の、やわらかい雨に濡れた美しさを描きこんでいます。その夢のように全体が雨に曇った景色のなかで、木々の枝の黒い絵の具を引っ掻いた傷が、濡れて光る枝の勢いを表現しています。中景画面左の大崎八幡の杜が雨に煙っており、そこから右にむかって、中景の家々が折り重なり、雨にかすむ市街地が点描されていきます。遠景のビル街も、雲が動く空に溶け込むようにかすんでいます。惇の眼は、こうした季節の変わり目の微妙な機微を捉えることに優れていたようで、彼の多くの風景画が、地形の起伏と奥行きと広がりを描きながら、その描写のなかに、季節の気韻を捉えています。重くなりそうな雨の景色ですが、近景のパンジーの白と黄色、濡れてやや色を濃くしたサクラと、中景の雑木林の明るい茶色で、画面に命の輝きを点描しています。とりわけ中景の家々の雨のなかの白い壁が、パンジーとサクラとの距離感のなかでの存在感を見せて、絵に命を吹き込んでいます。惇の幻想美に力をあたえていたものが、手触りの感覚まで捉えきるような緻密な観察を元にした、画面構造のヒエラルキーであったことが、このF8号の小品からもわかります。この作品への加筆がおわった惇は検査入院し、1か月でみまかります。この春の雨を描いて、「花曇り」と名付けた洒落っ気といい、この絵の柔らかな生命感といい、惇の幻想力と表現力は、その身体的限界をはるかに凌駕していたことが伝わってくる作品です。