静寂の韻律

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  • ※以下の内容は、杉村豊名誉館長により著されたものです。
赤いランプと古風なミシン
作品名
赤いランプと古風なミシン
制作年
1966年(59歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩
出 陳
第9回日展

重厚な古いミシンの質感と重さの「黒」が主役ですが、風雪に耐えた「赤」い船舶ランプの準主役が、「白」く塗られた作業机の上の時計とともに、自立を目指して歩んだ画家の、アトリエで日々に刻んだ修錬の時間を象徴しています。机の下に覗くスケッチブックは、還暦を前にした次の進展への自信と野心を暗示しています。

静かな部屋
作品名
静かな部屋
制作年
1970年(61歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩
出 陳
改組第2回日展

抑えた色調で、ガラス、金属、クルミ、人形の衣装、陶器の、それぞれの質感を抑制的に、しかし堅実に描き分けて「静かな空間」を作り上げています。そしてその中で、画面左手前に、さりげなく、じっくりと描きこまれた金の模様の濃紺のコップ一点で、画面全体を引き締めます。この絵に緊張感をよびこむ技巧で、他の多くの力作が競合する公募展のなかで、彼は「魅せる静物画家」の地位を確立することになるのです。

古風な手風琴
作品名
古風な手風琴
制作年
1972年(63歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩
出 陳
第4回日展

古く重厚な手風琴から、かつて奏でたメロディーが聞こえてきます。コーヒー缶、パイプ、酒瓶、コップは、にぎやかな聴き手。赤いランプシェードのランプは、華やかだった昔を独り思い出しているようです。対象を描き分ける色彩や形に強弱の変化をつけて、画面にリズムをもたらすことで、見る者の耳に、かすかに遠くなつかしい音楽を連想させて、追憶を誘う、絵画の精神性表現に意を凝らした作品です。

煤けた薬缶と魚
作品名
煤けた薬缶と魚
制作年
1975年(66歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩
出 陳
第7回日展

イチジク、陶器のジョッキ、チーズ、煤けた薬缶に対比して、焼き目の美しい魚とワインの瓶は、重厚な机の上で、手堅い技術による質感の違いが描きわけられ、ハーモニーを醸し出しています。この重い写実の机上と、それを支える重厚な机を描きながら、机の扉からわずかに覗く画集の表紙が、画面の重々しい迫力に、息抜きを与えています。

暮春
作品名
暮春
制作年
1976年(67歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩
出 陳
第62回光風会

自家薬籠中のランプと人形で堅牢な絵に仕立てながら、その間にひろがる壁と空間とで、春の午後遅くのなまめいた情緒と、暮れなずむ時間の流れの官能を、抑圧された静かな構図で描きあげています。具象作家の職人芸を前提に、絵としては単純な構成にしたことで、黄昏前のアトリエの空気・温度にまでに迫って、春の終わりの季節感を描いた、60歳代の惇芸術の精神性表現のひとつの到達点を示した作品です。

パンのある机
作品名
パンのある机
制作年
1976年(67歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩
出 陳
第8回日展

帝展初入選(1930年第11回帝展「パン」F40)の素材がパンであったことで、「表面の焦げ具合や固さだけでなく、中の柔らかさが描けなくてはいけない」と、常々口にするほど、パンには本人は強い思い入れがありました。この作品でも、左の黒い壺のハイライト、梅の実を漬けた瓶のブリキの蓋、そしてパンから右の白いランプの油壷に流れる波動のなかで、パンは堂々と輝いています。なお壁にかかったパイプ掛けで、画面に突然活気を帯びさせているところが、「静物画の妙手」と呼ばれた理由です。

牛乳缶とランプ
作品名
牛乳缶とランプ
制作年
1977年(68歳)
サイズ
F80(H1120 x W1455mm)
技 法
油彩
出 陳
第9回日展

使い込まれた牛乳缶と古い頑丈な船舶ランプの、重々しさと使い込まれた痕跡の美しさが追求されています。対象の質感表現になりふり構わず迫った闘志あふれる作品にみえて、卓上ランプの白さで画面空間を広げるなかで、前面の剪定鋏を焦点に配置することで、絵画構成の均衡を巧みに形成しています。

杏漬と鰊など
作品名
杏漬と鰊など
制作年
1981年(72歳)
サイズ
F100(H1303x W1620mm)
技 法
油彩
出 陳
第13回日展

左の机に、調理前の鰊、チーズ、杏、葡萄酒、アザミを色彩ゆたかに集めながら、右に離した色彩を落としたランプと壁とがつくる空間で、華やかな食器群を客観視させて、これから始まる貧乏絵描きの質素な宴の楽しさを、期待させるという嗜好です。百号の空間を使い切って、自在にドラマを演出する、「静物学者」の面目躍如です。