ことばで紡ぐ 鈴木史 個展「Miss. Arkadin」工藤玲那 個展「アンパブリックマザーアンドチャイルド」

投稿日:2022.08.31

レポート


 
 
若手アーティスト支援プログラムVoyage2022 鈴木史 個展「Miss. Arkadin」、工藤玲那 個展「アンパブリックマザーアンドチャイルド」をご覧いただいた方々から、展覧会や作品についてお寄せいただいたコメントをご紹介いたします。
さまざまな視点から自由に紡がれることばの数々が、鑑賞者の視野を広げ、本展のイメージが豊かに広がっていくことを願っています。

 

(敬称略)
慶野結香(青森公立大学 国際芸術センター青森 学芸員)
五十嵐善隆(斎藤茂吉記念館学芸員)/池添俊(映画作家)
高熊洋平(書本&cafe magellan店主)/東海林毅(映画監督/映像演出)
 
展覧会概要
鈴木史 個展「Miss. Arkadin」
工藤玲那 個展「アンパブリックマザーアンドチャイルド」
 


 
 

2022年9月3日更新

 
慶野結香(青森公立大学 国際芸術センター青森 学芸員)
工藤玲那さんというと、様々な他者が描いたキャラクターを土でこね、焼き、色をつけて作品にしているイメージがずっと強くありました。気づいたら最近は、アジアを中心に色々な場所で暮らしながら制作していて、昨年は青森・五所川原の厳しい寒さの中、窯元の人々を巻き込み、厳しい大地にしっかりと立つ焼しめられた作品を見せてくれました。その時から、石を積極的に作品に取り入れようとしていることが印象的でした。今回の個展「アンパブリック マザー アンド チャイルド」では石を溶かしてみてもいるし、映像作品を何点も作っていた。
展示室の片隅にある、破壊や葛藤を思わせる写真をどう捉えていいのか難しい。もっと言えば、リャンさんとまあちゃんの関係性は、しっかりと捉えようとすればするほど逃げていく。でも30年も生きていたら、母と子という関係性や役割も家の中を飛び出して別のフェーズに入ってくるし、リャンさんのモノローグを聞いていると、母と子は他者なんだということを突き付けられる気もします。私はこの展示を見ながら自分の母とのことについて、なんとなく考えていました。それでも、まあちゃんの作品にご飯を盛り付けるリャンさんは完璧に共犯で、だからいつも私は彼女が出会った人に自分も出会いたくなってしまう、と思いました。
 


 
五十嵐善隆(斎藤茂吉記念館学芸員)
 工藤さんの焼き物の作品群の多くには、現代風のかわいい土偶たち、という見た目の印象をもっていたのですけれども、今回の展示でわたしが最も心惹かれたのは「石の温度」という20分ほどの映像作品でした。ここでの母子のボイスメッセージのやり取りは、母の「まあちゃん」や工藤さんがかつて抱いていた/いま抱いている、戸惑いや怒りや喜びみたいなものを示しているのですけれど、この声や言葉を用いる作品は工藤さんの新しい試みであって、また他の作品の鑑賞の補助線にもなりうるものだとも思うのです。
 近年発表された歌人・大森静佳氏の「産めば歌も変わるよと言いしひとびとをわれはゆるさず陶器のごとく」(『ヘクタール』)という短歌は、その怒りの苛烈さからも注目を浴びました。工藤さんは今回、拾った石を焼いて〈マグマみたいに沸騰〉させた「焼かれた泥岩」、割れたテーブルのガラスを溶かした「半透明のパートナー」という作品も出品しています。そしてそれらザラザラしたりつるつるしたりとげとげした出来上がりを称し「なんかおもしろい」と、こちらがちょっと面食らうほど素朴に楽しんでいる(ように感じられる)のが、工藤作品のきらめきなのだとも思い、工藤のごとき石、という迂闊な感想も抱いたりしたのでした。
 それと(これは蛇足がすぎるのですけれど、ちょいとした自慢として)、「石の温度」上映スペースの背面には「食卓を捧げる」という映像作品もあり、ギャラリーに入って最初に目にする配置となっているのですが、この作品だけ期せずして?エレベーター脇の腰掛から窓越しに目にすることができるのです。ちょうど見学に伺った日には大講堂で地元の女性たちが太極拳の練習でゆっくり剣を動かしている様子や、中庭の青いプラスチックの椅子や梢に数粒残っている柘榴などもながめることができ、そこに腰掛けてギャラリー入口にひっそりと置かれた桜並木の写真の気配も感じれば、鑑賞の余韻だけではなくこの塩竈市杉村惇美術館ですごすことの豊かさみないなものをも感じて恭悦至極というものです。
 


 
池添俊(映画作家)
語りえぬ町、自分自身について。鈴木史さんの個展「Miss. Arkadin」では、『女らしく見えるゴミ』の映像の中で、過去のスケジュール帳を捨てようとしながら鈴木さんは「過去を蓄積したくない。振り返りたくない」と話していました。捨てたいけど捨てられてないもの(どちらかというと見返すと気が重くなるもの)、社会的に居場所がない人々。塩竈という町で映像を観ながら、ふと、座っているベンチの隣に鈴木さんがいる気がしました。続く、工藤玲那さんの個展「アンパブリック マザー アンド チャイルド」は母と子の伝説を秘めた塩竈の史跡「母子石」を切り口に、自身のお母さん(リャンさん)と共同制作した時間が広がっていました。石が重なり、映像が重なり、声が重なるほど、遠く感じる工藤さんとリャンさんとの距離。もどかしさの中にわかりあえなさが混じり合うような時間を過ごし、遠くのことを想う素晴らしい展示でした。街から少し登ったところに美術館があり、内部は少し外界から切り離された(時が止まったような)空間で意識を解きほぐされつつ、時折展示室の窓から小さく塩竈の街の風景が見えるのも良く、観賞後は坂を降りながら現実に戻っていくような感覚でした。
 
 

2022年8月30日更新

 
高熊洋平(書本&cafe magellan店主)
私的な経歴に取材している点が共通する一方、お二人のアプローチが対照的で静かな緊張感があってよかったと思います。
鈴木さんが環境との軋轢から繰り返しご自身のルーツへ遡及するのに対して、工藤さんは石やお母さん、それから料理を巻き込んでアクシデントを招き入れようとしているように見受けられました。
この求心性と遠心性がお二人の今後において交わるなり干渉するなり影響し合うこともあるのかしら、、と勝手な妄想を膨らませながら楽しく拝見しました。
 


 
東海林毅(映画監督/映像演出)
創作活動を続けていると「気が付くと同じ場所に立っている」感覚になることが時々ある。手法や方向性を探って右往左往するうちに、ゲームのセーブポイントのようにいつのまにかまたそこに戻っている。鈴木史さんの個展 Miss.Arkadin は自身のはらわたを激しく引きずり出した私小説/セルフポートレイトのようであり、かつ静かに燃える声明のようにも感じられた。きっと鈴木さんは何度もここに戻ってくるのだと思う。